17/08/2026
「お盆になると人々が川に下り、河原の石を立てるとそれが先祖を祀る地蔵となる。行事がすむと石は倒され、またただの河原の石となる」
朽木に伝わるという河原地蔵のお話を、現在朽木の隣の葛川に移住し集落全体をアートの展示会場とする「遺され村の美術展」を運営されている上田哲郎さんにお聞きしたのはいつだったろうか。本来目に見えないカミやホトケをモノとして顕現させてしまう民衆仏や自然木石仏に惹かれる僕としては、石が積まれることによってカミとなり、また自然に戻ってしまう、という河原地蔵はさらにプリミティブな、ということはさらに本質的・根源的なヒトとカミ、自然のあり方をあらわすものではないか?と、実際に目にする機会を待っていた。
情報収集のため地域上流のはるやゲストハウス(ニワトリ、ハト、羊、犬のいるここは控え目に言って楽園)に事前に泊まって地元の郵便局や資料館で聞き込み、8月15日満を持して我々民俗特捜隊は朽木に飛んだ!
河原地蔵の習俗があるのは日本海と京都を結ぶ鯖街道の一つで安曇川の支流である針畑川に沿って点在する針畑地域の各集落で行われる。かつては葛川でも行われていたそうだ。本来は14日ごろ作り、16日の早朝に送る、とのことだが今では各家庭の事情に合わせて15日昼頃作り、夕飯後に送ることが多いよう。事前調査で久多(くた)、古屋(ふるや)、生杉(おいすぎ)の各集落では今も行っている家がある、との情報を得、国道367号から分岐する府県道781号線(梅ノ木線)を北上する。
河原地蔵の呼び方は久多では川地蔵、古屋は不詳(河原地蔵?)、生杉は河原仏と異なるが、ほぼかたちは同じで、川岸からすこし離れた流れの中に石を組んで砂利を敷いた中洲を作り、中洲と川岸を繋ぐ橋となる石を渡す。中洲に六体の石塔状の地蔵を立て、米、ナス、団子、菓子、しきみ、花、線香などを供える。作り終え線香をあげ念仏を唱え、あとは夜に灯明を家から持ってきて、そこで「先祖を川に流す・還す」とのことだった。その後は特に石を崩すことはなくそのままで、やがて増水した川流で自然になくなっていくのだそう。気になったのは先祖のホトケと河原地蔵は同一ではなさそうなところだが、これは推論として馬板の習俗と同じく仏壇の先祖は近しい親族としてのホトケ、河原地蔵はより昔の、概念としての先祖、すべての死者の霊をあらわしているのではないだろうか。六地蔵は六道、つまり転生を含めた死後の世界全体の救済者をあらわすのだからそれを祀る場所はあの世と繋がっている。馬板の場合は山に還すのが河原地蔵は川へという違いはあるが、原理は同じだ。河原地蔵は馬の護符が差された所と同じく先祖の霊がこの世からあの世へと渡るための中継地・憑坐(よりまし)なのかもしれない。両墓制との関わりも考えねばなるまい。
さて、最初の集落は久多。行政区的には京都府左京区であり、正確には針畑川と合流する久多川の流域である。室町以来の風流舞という花笠踊りや松上げなど興味深い行事が残り、「久多いきいきセンター」という老人福祉施設の2Fが民具収蔵史料館となっていて、先日アップした志古淵神社の牛王宝印2枚もここに収蔵されていた。久多では①北山友禅菊・民宿治郎吉向かいあたり、②龍宝寺向かいの橋あたり、③宮の谷川橋横の広場下、④志古淵神社から西へ50mほどの民家の流れ橋下、以上4か所で見ることができた。④ではたまたま作られているところを見ることができ、里帰りの子供らが動員されてお供えもされたあと、鉦を持ったおばあちゃんが登場、おばあちゃんはもう川辺には降りられないので道路上から鉦を鳴らし、念仏(久多里山協会のパンフレットによるとダンゴ念仏・十三仏念仏)を唱え、線香に火をつけた家族が手を合わせた。念仏が終わるとパックのお菓子などは引き揚げ(残りは猿や鹿が食べるそう)、夜に家の仏壇から灯明(たいまつとおっしゃっていたが)を持ってきて、そこで「先祖を川地蔵に送る」とのことだった。全般的に華やかで、③では蓮の葉も敷かれており仏教色を感じる。また写真を撮りに来られていた方はこんな風習は他の地域では見たことがない、あるいは日本ではなく韓国の習俗ではないか、とおっしゃっていたとのこと(妻隊員の聞き込みによる)。
次は久多から30分ほど1本道を北上した古屋。行政区は滋賀県高島市に入る。ここらあたりから急に開けた明るい里山の印象があり、夢の隠れ里のような感じがした。正直ここでの生き方以外は全部ニセモノのように感じるほど。古屋では事前に飛び込んだ郵便局でお伺いした通り⑤郵便局の裏を流れる川上20mくらい、その先の橋の下に⑥⑦隣接して2か所の計3か所で見ることができた。ここでは河原地蔵の横に灯篭状の石塔もたてられていたのが印象的だった。
そこから10分ほど北の生杉では宿泊した⑧簡易道の駅的施設「山帰来」から西へ二本目の橋の上流左岸に一か所あった。基本形は一緒だがそれぞれ家庭によるアレンジとは思うが、上流に遡るにつれシンプルに、プリミティブになっているようなのが感慨深い。